音楽とかライブとか
辺野古ピースフェスに行こう!
というわけで、
以下は、去年、琉球新報の朝刊コラム「落ち募」の連載で
私が書いた原稿です。
那覇のムンドというライブハウスで、今回の辺野古フェスの前身といえる
ライブイベント『つづら折の宴』が開催された後に書いたもの。
私自身の主観で書いたもので、手前ミソかもしれないですが、
今回のライブの性格、主催に関わっている伊丹英子さんとソウルフラワーユニオン
について、少しでも解説になるかなあ……と思い再録します。
****************
「満月の夕」という歌
去る8月13日、那覇のライブハウスで『つづら折の宴』と題されたライブイベントが行われた。
このイベントは、95年の阪神淡路大震災の後、ソウル・フラワー・モノノケ・サミットというバンドが被災地でスタートさせたライブ活動を、メンバーである伊丹英子が手作りのイベントとして続けてきたもの。現在、沖縄在住である彼女と共に、沖縄の若手ミュージシャン、DUTY FREE SHOPPこと知花竜海が発起人となって、多彩なバンドが参加し、今回初めて沖縄で催された。来年(2007年)、辺野古で野外ピースコンサートの開催を目指す、というこの企画は、普天間基地の返還の問題など、大きな変わり目を迎えつつある沖縄で、世代を超えて「音楽の力」でできることをやる場、これからを考えていく場を繋ぐ、大きな可能性を持つものだと思う。
ソウル・フラワー・モノノケ・サミットは、ソウル・フラワー・ユニオンというロックバンドを母体にし、チンドン楽器や三線で、オリジナル楽曲と共に日本各地の民謡や流行歌などを演奏し、独自の活動を続けてきたバンドだ。彼らのライブで歌われている曲に『満月の夕(ゆうべ)』という曲がある。震災直後の光景から生まれたこの曲は、発表から10年以上を経た今も、多くのミュージシャンに歌い継がれている。「焼け跡」の記憶を、生々しく、しかし淡々と、言葉と旋律で描き、〈解き放て 命で笑え 満月の夕べ〉と歌う。無残な焼け跡に茫然と佇む人々の悲しみ、そして、それでも生き残り、生き続ける命の喜びを奇跡のようにすくい上げる名曲だ。
この歌の中に宿るものは、終戦直後、廃墟となった沖縄で「ヌチグスージサビラ(命のお祝いをしましょう)」と言って、三線を持ち、家々を回ったという小那覇舞天という天才芸人の逸話とも通じている。
震災も、まして、戦争の焼け跡も、実際に体験していないとしても、その光景を呼び起こし、共鳴させる力が「歌」にはある。かつて戦火に焼かれ、今も戦闘機が飛び立つ地で、こうした力強い「歌」たちが歌われ、広まる機会がさらに増えてほしいと思う。
長嶺陽子(編集・ライター)〔琉球新報「落ち穂」掲載〕
以下は、去年、琉球新報の朝刊コラム「落ち募」の連載で
私が書いた原稿です。
那覇のムンドというライブハウスで、今回の辺野古フェスの前身といえる
ライブイベント『つづら折の宴』が開催された後に書いたもの。
私自身の主観で書いたもので、手前ミソかもしれないですが、
今回のライブの性格、主催に関わっている伊丹英子さんとソウルフラワーユニオン
について、少しでも解説になるかなあ……と思い再録します。
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「満月の夕」という歌
去る8月13日、那覇のライブハウスで『つづら折の宴』と題されたライブイベントが行われた。
このイベントは、95年の阪神淡路大震災の後、ソウル・フラワー・モノノケ・サミットというバンドが被災地でスタートさせたライブ活動を、メンバーである伊丹英子が手作りのイベントとして続けてきたもの。現在、沖縄在住である彼女と共に、沖縄の若手ミュージシャン、DUTY FREE SHOPPこと知花竜海が発起人となって、多彩なバンドが参加し、今回初めて沖縄で催された。来年(2007年)、辺野古で野外ピースコンサートの開催を目指す、というこの企画は、普天間基地の返還の問題など、大きな変わり目を迎えつつある沖縄で、世代を超えて「音楽の力」でできることをやる場、これからを考えていく場を繋ぐ、大きな可能性を持つものだと思う。
ソウル・フラワー・モノノケ・サミットは、ソウル・フラワー・ユニオンというロックバンドを母体にし、チンドン楽器や三線で、オリジナル楽曲と共に日本各地の民謡や流行歌などを演奏し、独自の活動を続けてきたバンドだ。彼らのライブで歌われている曲に『満月の夕(ゆうべ)』という曲がある。震災直後の光景から生まれたこの曲は、発表から10年以上を経た今も、多くのミュージシャンに歌い継がれている。「焼け跡」の記憶を、生々しく、しかし淡々と、言葉と旋律で描き、〈解き放て 命で笑え 満月の夕べ〉と歌う。無残な焼け跡に茫然と佇む人々の悲しみ、そして、それでも生き残り、生き続ける命の喜びを奇跡のようにすくい上げる名曲だ。
この歌の中に宿るものは、終戦直後、廃墟となった沖縄で「ヌチグスージサビラ(命のお祝いをしましょう)」と言って、三線を持ち、家々を回ったという小那覇舞天という天才芸人の逸話とも通じている。
震災も、まして、戦争の焼け跡も、実際に体験していないとしても、その光景を呼び起こし、共鳴させる力が「歌」にはある。かつて戦火に焼かれ、今も戦闘機が飛び立つ地で、こうした力強い「歌」たちが歌われ、広まる機会がさらに増えてほしいと思う。
長嶺陽子(編集・ライター)〔琉球新報「落ち穂」掲載〕