長嶺陽子の「うちなーじらぁ」日記

沖縄人(うちなーんちゅ)と結婚して沖縄移住したライターの、うちなー発見ブログ。タイトルの「うちなー」は「沖縄」、「じらぁ」は「顔」とか、「○○風」って意味もあります。つまり、私がだんだん「うちなーじらぁ(沖縄顔)」になっていく様子をレポート(?)する身辺雑記です。

日記

ごぶさたしていてすみません。

もう、かれこれ1カ月ちかく、
ブログ更新していませんでした。
それでも、ときどきのぞきに来てくださっていた方、
どうもありがとうございます。

7月の23日に義父が亡くなりました。
急なことでした。
入院はしていましたが、
きっと、よくなってすぐにおうちに戻ってくると
家族みんな思っていたので、
今もまだ、あまり実感がありません。

ご存知の方は、ご存知だと思いますが、
義父・長嶺伊佐雄は、
子どものころから、青年時代にも、
不思議な経験や辛い経験をいろいろして、
先祖の声を聞く、という、体質というか、性質というか、
そうしたものを持っている人でした。
沖縄ではそういう人は、内地にくらべると割合多く、
「ユタ」とか「カミンチュ」と呼ばれたりします。

義父は、特に、家相のこと、
家の水回りの位置が家族の体調に影響をあたえること、
土地の汚れやごみをそのままにして、その上に家を建ててはいけないこと、
などを、先祖からの教えで知って、
それを人に伝えることを仕事にしていました。
(そのあたりのことは、うちの連れ合いが昔書いた、
「カミングヮ」という本に詳しく書かれています。)

内地から来た嫁としては、最初は「家相??」という感じだったんですが、
毎日、屋敷の神様に
(沖縄には、屋敷=家の中にたくさんの神様がいるという考えがあります)
線香をあげ、手を合わせ、感謝の言葉を捧げる姿や、
沖縄はもちろん、全国各地からいろいろな相談に訪れる人に、
とても丁寧に応える義父の姿を見て、
「そういうことがあるのだなあ」と自然に、実感していました。

そうやって仕事を、真摯に、一生懸命やっていた
義父の姿を身近に見ていた家族としては、
義父が入院して、体力が弱って行く姿は、
なにかとても理不尽なことのように思えていました。
でも、家族の中では、唯一、上の妹だけが、
少し「見え」たり「聞こえ」たりする体質なのですが、
その妹が(後になってから聞いた話しですが)
「次の仕事があるから、仕方ないんだよ」
という先祖の声を聞いたそうです。

もちろん、それで納得がいくことでもないですが、
そういうことだったのか……と自然に思える部分もあります。

でも、今も、おうちの中におとうさんはいる気がします。
不甲斐ない嫁ですが、いつも、おとうさんに
優しくしてもらって、守ってもらったことを、感謝しています。

告別式にはほんとうにたくさんの方に来ていただきました。
どうもありがとうございました。




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この記事へのコメント
いろいろと、大変なことだっと思いますが、お疲れ様でした。
告別式は行けなくて、ごめんなさい。

陽子さんが、家におとうさんがいるような気がするように、おとうさんは、きっといますよ。

「いなくなっても、そこに居る」

という存在が大切なことだと思います。
こうして、家族に感じてもらえる、自分のことが話しにあがることが、おとうさんにとっても、一番嬉しいことなんじゃないかな?

遅ればせながらですが、秋に「そこにいるおとうさん」に会いに行きますね。
Posted by HASSY at 2010年08月07日 17:42
このたびは義父様の訃報に接し心よりお悔やみ申し上げます。
私はおととし長嶺さんに家相の相談をさせていただき
神奈川まできていただき、そして何度かご自宅にお電話さしあげたものです。
長嶺さんのおしゃったとおりに家を新築し、3月に引っ越しのご連絡を
させていただいたばかりで今でも信じられません。
入院されていたとは知らず、またご指導いただきたいと
お電話しようと思っていた矢先でした。
今日何気なく検索をし訃報に接しコメントさせていただきました。
あまりの突然なことで、本当に信じられませんが現実なんですね。

私たち親子にとって長嶺さんにお会いできたことは
我が家にとって本当に宝です。
あの優しいお人柄「おねえちゃんプラス思考でいこう!」と
何度も勇気づけていただいたこと忘れません。

長嶺さんには次の仕事があるとのこと。またどこかでお会いできたら
いいなと思っています。


今まで本当にありがとうございました。
Posted by lily at 2010年08月11日 02:21
長嶺陽子様

初めまして、県内に住む者です。

お義父さまの生前、お世話になったものです。

昨年の春先だったと思います。
快く、「いらっしゃい」と小禄邸、床の間に招かれました。

今となっては、その一時間を過ごせた自身はこの上ない宝物を
いただいたように貴重なものです。

年末に新居が完成、はやく長嶺さんの霊前に報告へ!と
思う次第でありますが、なかなか時間の都合がつきません。

でも、新居の上から「上等上等」と言ってるように感じますね。

長嶺さんの真似はだれもできませんが、
少しでも良い家造りの情報が伝わっていけば幸いです。

あぁ、今頃どこで仕事をしているのか(笑)

自分が手がけた家を上から見ながら微笑んでいるように思えます。

では。
Posted by nori at 2011年02月24日 13:13
みなさま、コメントほんとうにどうもありがとうございます。
お礼が遅くなり申し訳ありません。

先日、初十六日(ジュウルクニチー=後生・グソーのお正月)の
行事をしたときにも、、
やはり、家にはおとうさんがいてくれているような気がしました。
それと同時に、離れたいろいろな場所でも、
仕事しているようなので、忙しいのかもしれません(笑)。

おっしゃっていただいたとおり、
義父の真似は、家族にも、誰にもできないので、
今も電話などでお問い合わせをいただく家の相談には
お応えすることができず、心苦しいのですが、
義父がこれまでしてきた仕事を通じて、
良い家造りについての考え方が伝わっていけばと思っています。

みなさま、温かいコメント、どうもありがとうございます。
Posted by ながみねようこ at 2011年03月01日 11:35
 
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ながみねようこ
ながみねようこ
2005年春に、突然、沖縄に「長男嫁」として移住。それまで東京で編集・ライター業を長年経験していた身で、「まさか沖縄に住むとは思わなかった!」と、「これが運命だった!」の、両方を日々感じつつ、マイペースで、ライター業と泡盛専門居酒屋「カラカラとちぶぐゎ~」の店員を勤めつつ、うちなーライフを邁進中。2005年秋には、「泡盛マイスター」の資格試験に挑戦して、取得しました。2006年2月には、インタヴューを担当した沖縄で初めての本「下地勇/心のうた」も刊行。また、2006年から2011年春までは琉球新報の生活マガジン「うない」の編集長も担当しました。現在フリーで編集・取材・原稿などのお仕事など引き受けております。
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